山の辺の道(奈良県天理市・桜井市)

               前編 三輪駅から景行天皇陵まで約4キロ

                        2013年10月1日
      
      初めて山の辺の道を歩いたのは1992年5月5日、今から21年も昔のこと。
      ちょっとつらい事があって一人で出かけたのだが、その風景に癒され
     魅了されてしまった。その後家族や友人を誘って2度訪れた。
      今回、友人を山の辺の道に案内することになり、21年前と様子が違って
     いてはと思い下見に出かけた。
      昨今、どこの町でも目まぐるしく変化をしているのに比べ、山の辺の道は
     驚くほど21年前の佇まいが残されていた。地域の人々の強い意志がなければ、
     昔の佇まいを残していくのは難しいのではないだろうか。
      ずっと残しておきたい(残してほしい)日本の古里の風景の一つだと思う。


             JR三輪駅から景行天皇陵までの地図
           
 
      大和平野には、7世紀の初め頃に造られた南北に走る官道
     上・中・下ツ道があった。
      山の辺の道は、上ツ道の東にあって三輪から奈良へと通じる上古の道であり
     三輪山から北へ連なる山裾を縫うように伸びる起伏の多い道である。
      現在その道をはっきりと跡づけることはできないが、海柘榴市(つばいち)から
     三輪、景行、崇神陵を経て石上から北上する道と考えられている。
      延長26キロだが、中でも古代の面影をよく残しているのが桜井市金屋から
     天理市石上神宮までの約11キロ。
      私はJR三輪駅から石上神宮まで11キロ弱を歩いた。

        上記地図と山の辺の道の説明文は、山の辺の道美化促進協議会発行のパンフレット 「山の辺の道」 から
       引用させていただきました。


       
   JR三輪駅10時10分スタート。10月とは思えない    小さな商店街を抜けると大神神社(おおみわじんじゃ)の参道。
  暑い日、駅を出てお寿司屋さんの角を曲がると商店街.。    1日は祭礼の日、屋台が出て参拝客で賑わっていた。

          
           秋の味覚が一杯。 欲しかったけど、これから11キロ歩く、我慢我慢

          
           大神神社(おおみわじんじゃ)
                 
      参道で人だかりができている。なんだろうと近づいて見ると石垣の間に卵が沢山
     供えて(?)いて、その左側の石垣の間から蛇が顔を覗かせている。
      「お巳いさん、偉いわねえ。ずっとさっきから顔を覗かせてはる」と隣の女性。
     大神神社の主祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)で、白蛇に姿をかえて
     あらわれたといういわれから、「お巳いさん」が大切にされているようだ。
      神様の化身でも、私ちょっと苦手。勇気を出して写真に撮ってきたが、
     パソコンで見てから削除してしまった。
      百聞は一見に如かずといいますが、それに反して証拠写真を削除し、
     だらだらと説明文を書いている。
          
          
           大杉に洞があって、そこから白蛇がでてくるそうだ。今日はいなかった。

          
           10月17日 撮影

       
     大神神社を後にして珍しいしめ縄を潜り    狭井神社へ

          
      月山日本刀鍛錬道場記念館  ちょっと興味があったが時間が気になりパス。
     帰ってネットで調べて見て、寄れば良かったと後悔。

        
      狭井神社を過ぎると人通りが途絶えた。   山の辺の道のあちこちにある無人販売所の一つ

          
           道しるべ    一人で歩いても迷うことはない 

      
       ほら貝(たぶん)の音に誘われて。 玄賓庵(げんびあん)の塀。

          
           玄賓庵

          
           石畳道と道祖神

          
      狭井神社を過ぎてから初めて人に会う。10数名の団体。平日のせいかこの後も
     一人又は二人連れとたまに会うくらい。

          
           檜原神社  ここから二上山(にじょうざん)が見える

          
      二上山(にじょうざん)。雄岳と雌岳からなる山。山の辺の道のあちこちから眺められる。
      謀反の嫌疑をかけられ24歳の若さで自害させられた悲劇の皇子、
     大津皇子(天武天皇の皇子)の墓が雄岳山頂にあるという。

       
     柿の無人販売所。山の辺の道には柿、   蜜柑畑と集落を見下ろして。
    蜜柑の果樹園が多い。

       
    蜜柑畑を過ぎて、立派な家が多い集落の舗装  常夜灯とお地蔵様。
   道路を下る。          

         
          郷愁を感じさせる家

        
      広い舗装道路から別れて            空に向かう道?

         
          10月17日 撮影

         
           草が生い茂って ここ通れるのかな

         
          上の道を抜けると  棚田とコスモスの花が迎えてくれる

         
          収穫間近かな棚田

        
      柿畑の中の廃車               草に埋もれる耕運機  耕作放棄地がポツポツと

      21年前と比べて変わった事は、耕作放棄地が所々あることだった。

        
      前方左のこんもりした山が景行天皇陵    渋谷向山古墳(景行天皇陵)の説明板と陵

      ところで景行天皇って何時代? 歴代天皇の名前をすらすら言える超人が
     おられますが、私などさっぱりわかりません。ネットで検索してみた。
      景行天皇 第12代天皇 前13〜後130(なにっ 143歳まで生きられた???)
     時代は弥生時代。

          
           景行天皇陵横の畑に残っていたオクラの花


      景行天皇陵から石上神宮(いそのかみじんぐう)までは後編へ  つづく