びわ湖疏水船 2023年4月8日 ![]() 琵琶湖疏水 大津乗船場 びわ湖疏水について 疏水とは、辞書でしらべますと、運送、給水、灌漑、発電などの目的で 土地を切り開いて作った水路 とあります。 びわ湖疏水について、私が下手な説明をするより、当日いただいたパンフレットを 使わせていただくことにします。 以下、掲載の資料は 琵琶湖疏水沿線魅力創造協議会 作成のパンフレット びわ湖疏水船 から引用させていただきました。 ![]() ![]() ![]() 初めてびわ湖疏水船に乗ったのは、5年前の2018年4月18日でした。その時は 桜の花は散り、葉桜になっていましたので、今年こそは満開の桜を船の上から観たいと 4月8日の日を決めました。ところが、今年は全国的に桜の開花が早く、やはり今回も 葉桜でした。 ![]() 三井寺の下 第1疏水(明治23年完成)と第2疏水(明治45年完成)の取水口があります。 観光船は第1疏水を行きます。 ![]() 大津閘門(こうもん) ![]() 乗船場へ この日は晴れたり曇ったり、一時雨が降ったり、強風の吹く変化の激しい お天気でした。 ![]() 令和号 座席は一列6名で2列。背中合わせに座ります。船長さんとガイドさんを 入れて総勢14名です。 ![]() スタートするとすぐ第1トンネルです。全長2436メートルあります。 全て日本人の力で成し遂げた手掘りのトンネルです。 ![]() トンネルの中ほど、地下水が滝のように落ちています。竪坑。 ![]() 真下から上を見ると光が見えます。 ![]() 第1トンネルを出ると、京都市山科。 ![]() トンネルを出ると、新緑が美しい。 ![]() 緊急遮断ゲート。阪神淡路大震災の経験から、大地震による堤防決壊時に 水流を自動停止するため設置されました。 ![]() 諸羽トンネル。JR湖西線を通すため、昭和45年(1970)に新設しました。 旧水路は埋め立てられて公園になっています。 ![]() 桜は終わっていますが、菜の花が咲いています。 ![]() 疏水沿いを散歩している人が結構います。 ![]() 八重桜が満開です。 ![]() 第2トンネルが近づいて来ました。 ![]() 遅咲きの桜でしょうか。 ![]() 最後の4つ目のトンネル、第3トンネルです。これを抜ければ終点の蹴上です。 ![]() 蹴上乗下船場 蹴上発電所は現在も現役です。 ![]() 第3トンネル出口。 ![]() 蹴上船溜まり。大津から蹴上まで55分の船旅でした。 ![]() 旧御所水道ポンプ室 国登録有形文化財。 びわ湖疏水の舟運について びわ湖疏水が完成した明治23年から舟運(通船)の利用が開始され、旅客舟の ピークである明治28年(1895)には年間30万人、運搬舟のピークである大正14年 (1925)には年間22万トンもの資材が行きかいました。 しかし、自動車や鉄道等の発達に伴い、舟運は徐々にその数を減らし、昭和26年 (1951)9月に大津から山科まで4.5トンの砂を運搬したのを最後に姿を消しました。 蹴上インクラインについて 蹴上船溜まりと下流の南禅寺船溜まりを結んだ全長582メートルの傾斜鉄道で 建設当時世界最長でした。 約36メートルの高低差を克服するために船を台車に乗せ、ケーブルカーと同じ原理で 運びました。インクラインによって、船は貨物の積み下ろしをせずに高低差を乗り切る ことができました。 現在はレールが形態保存され、インクラインの中は自由に歩くことができます。 以上 日本遺産 びわ湖疏水のHPより引用させていただきました。 ![]() 蹴上インクラインの船を乗せる台車。 ![]() インクライン。両側桜並木です。 ![]() インクライン。 現在のような重機がない時代に、これだけの工事を成し遂げた明治の人々の使命感と 情熱と技術に、自分とはなんの関りもないのだけれど、誇らしい気持ちになりました。 それと同時に10数名の犠牲者がでたことも忘れてはいけないと思います。 2018年のびわ湖疏水船は こちらから 小さな旅へ 戻る TOPへ 戻る |