田中山(相場振山)

      2020年4月23日、25日

      
       田中山周辺地図  妙光寺集落内 案内板よりいただきました。

     
田中山といえば、今からちょっと昔までマツタケが沢山とれたという話と、
     山火事があったことで知っていた。

      野洲に引っ越してきて数年経ったころと思う。仕事から帰ってきて玄関を開けると
     いい香りが漂ってきた。聞けば、夫と娘は隣のおばあちゃんにマツタケをとりに田中山に
     連れて行ってもらったという。一本しかとれなかった貴重なマツタケをいただいたそうで、
     マツタケご飯のいい香りに迎えられたという、幸せな思い出。
     
      1997年10月26日、田中山は火事で禿山になってしまった。
      11月1日、自治会主催の、持てるだけの水を背負ってまだくすぶっている所が
     あったら水をかけていくという見回りボランティアに参加した。運動靴が灰で黒く
     なって、洗っても落ちなかったという少し悲しい思い出。
      あれから23年、木が育って火事があった痕跡はなくなっている。

      その田中山が、大阪堂島の米相場を、手旗信号によって遠方各地に伝達する
     中継所の一つ「相場振山」だった、などということはまったく知らなかった。
      それを知ったのは最近のことだ。

      
        自宅から徒歩15分で登山口に到着。墓地を抜けて二つの鉄塔の下を
       登って行く。田中山は二つのピークを持つ山体の総称であり、狭義では
       三等三角点のある東峰を田中山、西側の峰を相場振山というらしい。

        
     墓地の入口                   急坂を10分ほど登ると視界が開けてくる

         
          15分で一つ目の鉄塔に到着。三上山の山頂が少し見える。

      
       野洲の町と比叡山が見える

          
           二つ目の鉄塔。道は急で滑りやすい。

      
       登山口から25分、尾根に到着。三上山が見えてきた。

      
       尾根から5分、登山口から30分、相場振山到着。

     旗振り通信とは
      大阪堂島や桑名の米相場を、見通しのよい櫓や山頂に設けた中継所で、次々と
     連絡して手旗信号によって遠方各地に伝えたものである。
      江戸時代半ば、大阪には全国の米が運ばれ、その米市場は全国の米価の
     基準となっていた。米価が諸物価の基本、米は事実上の通貨であった。

      米取引には、実際に米の移動を伴う正米取引と、帳簿上だけで操作する
     帳合米取引(先物取引)があった。
      諸藩や米業者、商人は一刻を争って米相場を知ろうとした。
     米相場の上下を迅速に知ることによって、決済のタイミングをつかみ利益を得たいという
     思いが、世界にも例を見ない旗振り通信という方法を生み出した。
      
      明治26年に電話が開通し近畿各地に普及していく。当時大阪・和歌山間は
     電話の接続に1時間以上もかかったが、旗振り通信では3分間で伝わったという。速くて安くて
     正確な旗振り通信は隆盛となった。
      大正になると、電話の方が便利となり、雨や靄の日には使えない旗振り通信は消滅することに
     なった。大正7年には完全に消滅したという。
               
「旗振り山」 柴田昭彦 ナカニシヤ出版 

      
       旗振り通信ルート(長浜ルート)
        「旗振り山」 柴田昭彦 ナカニシヤ出版 よりいただきました

      
       岩に開いた穴は旗竿を立てた所。

        
        手旗信号  「旗振り山」 柴田昭彦 ナカニシヤ出版 より

     旗振り通信の方法
      旗振り通信の仕事は、江戸時代には公に認められていなかったが、明治になると
     公認され立派な職業に位置付けられた。
      地元に定住していて、通信社から依頼を受けて旗振りをするようになったケースが多いと
     いう。
      通信に用いられたのは、昼間は旗、夜は山上では松明が用いられた。
     旗の大きさ、大旗で一畳から一畳半、小旗で半畳から一畳半のものを、先を折り取った
     240センチから300センチの釣竿につけて用いた。
      旗の色は、白、黒、赤とあるが、野洲の相場振山では「黒枠の大旗」を用いたらしい。

      旗を体の右手や左手などで回転させて振って、その位置・回数と順序で、相場の値段や
     合い印の位・数字を伝達した。受け手は、これを遠眼鏡で読み取り、次の中継所へ送った。
      相場をそのまま伝えては、他人に盗まれてしまうことから、台付と称して実際相場とは
     加減して通信していた。五日には十銭を加算し、六日には七銭を減算するというふうに
     予め決めておき日ごとに変えていたという。それだけでなく、毎日の相場の節毎にも変えて
     いたというから驚く。

                 「旗振り山」 柴田昭彦 ナカニシヤ出版 

      郷土史や登山、写真撮影と多趣味でいらっしゃる知人のkennyさんが、下記ブログに
     「旗振り山」について素晴らしいレポートを載せています。興味のある方はご本人の
     了解を頂いています。訪問してみてください。

       https://blog.goo.ne.jp/yamaski2590/c/128cb4696c99204efb935c45500c15af


                 
           相場振山から田中山への道は一層滑りやすい坂を下って登って。

       
        田中山山頂(292.8m) 

       
        山頂から少し進むと見晴らしがよくなる 三上山。

       
        希望が丘文化公園

       


       
        野洲市街への近道と三上山縦走路 分岐

       
        縦走路からの三上山

       
        歩きにくい道を下っていく。

       
        林の中を行く。

       
        舗装道路に出る。墓地の登山口からここまでちょうど1時間。

             
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