白洲正子を魅了した近江を歩く(全7回)

            奥石神社・教林坊・観音正寺・桑実寺
           
おいそじんじゃ          くわのみでら

    第2回 
2018年11月29日

      今回のツアーが中止になったので、個人で出かけた。教林坊と観音正寺は数回
     訪れたことがあったが、奥石神社と桑実寺は初めてだ。

     
      赤で囲んであるのは行った場所、黒線は車移動ルート、赤線は歩いたコース

                      奥石(おいそ)神社

        
         奥石神社 重要文化財の社殿

     

      東路の思ひでにせむほととぎす おいその森の夜半のひと声
                                      大江 公資

      夜半ならば老蘇の森のほととぎす 今もなかまし忍び音のころ
                                      本居 宣長

      などと、藤原時代以来、くり返し讃えられた歌の名所であった。今は新道(八号線)
     に分断されてしまったが、中に入ると別世界の静けさで、黒々とした森を背景に
     端正なお社が建っている。
      森のほうは、老蘇、または老曾とも書くが、神社の方は、奥石の字を当てており、
     孝霊天皇の時代、石部大連の建立で、はじめ蒲生の宮といったのが、訛って
     鎌の宮とよばれるようになった。鎌をぶっちがいにした紋所は、なかなかいい
     意匠だが、これは後世武士が作ったものだろう。
      社殿は天正九年の造営とかで、街道筋に、こんな清らかな神社が潜んでいた
     とは意外である。
                 
白洲正子 「かくれ里」より
                             
        
         中山道に面して鳥居が立っている

       
         拝殿

      
       広い境内の玉砂利、おじいさんが手入れをされていた。
       境内は静かで、カップルが二組と私だけ。一組のご夫婦と言葉を交わすと
      三重県から来られたとのこと。歌で有名な老蘇の森を、以前から見に来たかった
      のだそうだ。
       教林坊と紅葉公園にも行く予定だと言っておられた。どうぞ良い旅を。
     
       
        八号線側の駐車場へ向かう。境内に公園があり、遊具も設置されていた。

       
        八号線側駐車場からの入り口 紅葉の見ごろ。

                      教林坊

      奥石神社の御神体である繖山(きぬがさやま)の山頂にある観音正寺、山麓の
     教林坊・桑実寺方面に向かう。国道八号線と新幹線をくぐり、田圃の中を真直ぐ
     繖山に向かって進むと、石寺という集落にでる。右折して狭い道を少し進むと、
     教林坊の看板が何か所か立っていて、案内の人が駐車場へ導いてくださった。

      教林坊は、推古十三年(605)に聖徳太子によって創建されました。
     寺名の「教林」とは、太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、
     境内には「太子の説法岩」と呼ばれる大きな岩と、ご本尊を祀る霊窟が残され
     別名「石の寺」と呼ばれています。
               
      教林坊パンフレットより

       
        山門をくぐるとゆるやかな登り。

       
      奥石神社の静けさと打って変わって、たくさんの観光客で賑わっていた。
      紅葉も見ごろで、太陽の光に輝いていた。
      
      山裾のせまい道を、右へ行くと、ほどなくその坊に着く。椿が多い所で、落椿を踏みながら
     登る石段のあたりは趣が深い。入ってすぐの所は、室町時代の庭園で、大分荒れているが
     南の方の山が借景になって、小さいながらまとまっている。(中略)
      が、ここで私の興味をひいたのは、もう一つの慶長時代の石庭で、これが中心の庭に
     なっているのだが、いきなり山へつづく急勾配に作ってあり、よく見ると、それは古墳を
     利用してあるのだった。
                   白洲正子 「かくれ里」より


       

       
       


       
        散りもみじも美しい。
      

       
        今日は、紅葉といい、お天気といい、絶好のもみじ日和。
        偶然の出会いもあった。撮影ツアーで何度もお世話になった先生とバッタリ。
       
       
        山門を出て、観音正寺へ向かう。

                     観音正寺

      西国第三十二番札所 繖山 観音正寺は、1400年の昔、聖徳太子が巨岩の
     上で舞う天人を見て、その岩を「天楽岩」と名づけられました。
      現在は「奥の院」として巨木の中に大きな岩が点在しており、天楽岩の磐座の
     内部には、聖徳太子が彫られたと伝わる妙見菩薩を中心に五仏の仏が描かれて
     おります。
      その後、釈迦如来、大日如来の二仏が現れ、観音の化身である聖徳太子に
     千手観音像を霊木で彫像するようにと啓示され、尊像を刻み安置されました
     のが始まりです。
                観音正寺パンフレットより

     
       
        繖山中腹にある駐車場

      (繖山の)天辺に観音正寺という古刹があり、西国第三十二番の札所になっている。
     五百メートル足らずの山なのだが、麓から頂上まで、険しい自然石の石段で、石段と
     いうより、岩場といったほうがふさわしい、そんな所をわたしは、たった一人でよじ登った
     のである。
      日は暮れてくるし、お腹はすくし、寒くはなるし、あんな心細い思いをしたことはない。
     帰り道には、月が出て、月明りを頼りに下山したが、それから間もなく、書写山で
     迷子になり、遭難した二人のお婆さんのことを新聞で読み、私もすんでのことに
     同じような目に会いかねなかった、危ない所だったと、後に思い知ったのである。
                 
白洲正子 「かくれ里」より

      私は、白洲正子さんが来た頃にはなかったであろう林道を車で登る。
      教林坊の駐車場を出て右折し、繖山の麓の集落にそって進む。林道の入り口の
     標識が見にくくて、行き過ぎてしまうところだった。狭くて急で曲がりくねった道を
     ゆっくり慎重に登って行く。中腹にある駐車場についてほっとする。
      
       
        駐車場から四百数十段の石段が続く。白洲さんは麓から歩いて登ったという。
       
       
        観音正寺

       
        平成5年に本堂を火災で焼失。現在の本堂は平成16年に再建された。
        ご本尊は仏師松本明慶の作で、白檀でできている。像高3.56m、
       光背を含めた総高は6.3mある。
        数年前にお参りした時は、白檀の白さが初々しく感じられる観音様だったが、
       全体にあめ色の光沢をおびた美しい観音様になられていた。

      
       観音正寺からの眺め。

       
       
      観音正寺から少し足を伸ばせば、観音寺城跡へ行けるが、今日は一人で
     来ているので、迷子のお婆さんになってはいけないので諦めることにする。
      慎重に林道を下って、桑実寺へ。

                        桑実寺

      繖山 桑実寺は、天智天皇の勅願寺院として、白鳳六年に創建されました。
      湖国に疫病が流行し、天皇の第4皇女阿べ姫も病にかかり、病床で琵琶湖に瑠璃
     の光が輝く夢をみた。天皇が定恵和尚に法会を営ませると、湖中より生身の薬師如来が
     現れ大光明がさした。
      この光明に当たった人々の病も治り姫の病も治った。この薬師如来を本尊としたのが
     桑実寺で、定恵和尚により白鳳六年十一月八日に開山した。
      桑実寺の寺名の由来は、定恵和尚が中国より桑の木を持ち帰り、日本で最初に
     養蚕技術を広めたことによります。
      山号の繖山も、蚕が口から糸を散らし繭をかけることにちなんだものです。
                     桑実寺パンフレットより

       
       
        信長の館や考古博物館のある文芸の郷の駐車場に車をとめて、
       歩いて桑実寺へ。グラウンドを抜けて行くと桑実寺の標識がある。左へ。

         
          真直ぐ山に向かって民家の間を抜けて行く。

                 
                   いきなり急な石段が現れる。

       
        登ってゆくと山門が見えてきた。

       
        山門。山門をくぐると ピンポン と音がする。ちょっとびっくり。

       
        紅葉の真っ盛り。

          
           山門を過ぎ急な石段を登って登って、石橋に着く。本堂はすぐと
          おもいきや、その先も石段が延々と。

       
        地蔵堂が見えてきた。やっと到着か。

           
            地蔵堂。到着かと思ったが、他の建物は見えない。石段が続く。

       
        登っても登っても石段は続く。

       
        後ろを振り向くと、紅葉が陽の光にかがやいている。
        桑実寺から観音寺城跡、観音正寺まで往復して歩いて来たという青年と会う。
       本堂までもう少しあるが、紅葉を楽しみながら頑張って!と励ましてくれた。
   
       
        頭上だけでなく、足元の落ち葉もきれい!
        これまでに会ったのは、先ほどの青年と石段でお弁当を食べていた
       男性の二人だけ。静かで美しい景色を堪能しながら登った。石段も苦にならない。

       
        やっと到着。重要文化財の本堂、南北朝時代の建立。

       
        本堂

       
        屋根に積もった銀杏の葉が美しい。

       
        本堂前の庭におしゃれなテーブルセットがあり、花梨の実が置いてあった。

      ここも石段の美しい寺で、その石段のまわりには梅がたくさん植わっていた。
     住職のお話によると、裏の山、十方ケ岳の頂上に奥の院があり、「るり石」と
     呼ばれる巨巌が祀ってある。十畳敷きばかりの、平たい石で、前方に二つ、
     石棒のような岩が直立しており、写真でみても神秘的な感じがするが、登るのは
     ほとんど不可能な場所にあって、住職も一度しかいったことはないと言われる。
      そんな所だから、太古の磐座が、昔のままの形で残ったのであろう。
     白鳳の薬師仏は、まさしくその岩の間から誕生した、新しい神であったに
     違いない。(中略)
      るりの光を夢に見て、仏を発見したというのは、それにしてもなんという
     気宇壮大な想像力であろう。
                  
白洲正子 「かくれ里」より

               次回は 石馬寺・箕作山・瓦屋寺・太郎坊宮


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