石造文化の宝庫を訪ねる 東近江市蒲生 2019年3月9日 ![]() 東近江市蒲生地区 地図 ![]() 2枚の地図は CO-GAMO CAFE 蒲生観光マップよりいただきました。 訪問地 10山部神社・赤人寺 11旭野神社・法雲寺 12ガリ版伝承館 13高木神社 14梵釈寺 15涌泉寺 16竹田神社 東近江市と東近江市観光協会主催の ボランティアガイドと歩く 東近江ふれあい ハイキングに参加してきた。いくつもコースがある中で、今回は蒲生の石造文化めぐり のコースを選んだ。 ![]() JR近江八幡駅で近江鉄道に乗り換え、朝日野駅下車。無人駅。 田圃の中の駅で、周りになにもない。 ボランティアガイドさん3名と市の職員さん(?)1名が駅で待っていてくださって 受付・説明の後スタート。田圃の中の道を歩く。 ![]() 近江鉄道電車 ![]() 正面の雪をかぶった山は琵琶湖の対岸の比良山系。右のこんもりした山は 雪野山。雪野山は山頂・山麓に古墳がたくさんあり、古墳の山といわれている。 ![]() 梅の花咲く民家 涌泉寺 ![]() 涌泉寺 桓武天皇創建、元禄5年(1692)再興の臨済宗の寺。 ![]() 山門と鐘楼が一体になっている。 ![]() 石造九重塔(重要文化財) ![]() 近江の石造美術は鎌倉時代後期(1285〜1334)〜南北朝時代(1334〜1394) までが盛期で、室町時代前期ー1400年代の中頃を境に、次第に優秀な作品が 少なくなって行く。 その特色は一番に石塔の装飾性があげられる。 シンプルな五輪塔より、宝篋印塔や宝塔が好まれて造立されている。 宝篋印塔や宝塔の基礎には、蓮華文様(三茎蓮、開花蓮、散り蓮)や、孔雀文様 などが施されている。 近江装飾文と呼ばれ、分布も近江に集中し現在500基以上が知られている。 その近江においても過半数が湖東地域に分布し、さらにその湖東地域の過半数を 蒲生郡が占めている。 当日いただいた資料から ![]() かわいらしい六地蔵さん 旭野神社・法雲寺 ![]() 旭野神社 ![]() 本殿 ![]() 旭野神社の七重塔 鎌倉時代 ![]() 法雲寺 ![]() 木造帝釈天立像(重要文化財)が祀られているお堂 拝観はできなかったが、寺伝によれば甲賀郡の飯道寺の古仏とされている。 山部神社・赤人寺(しゃくにんじ) ![]() 山部神社 ![]() 勧請縄(かんじょうなわ) 滋賀県湖東・湖南地域に多い。 (注)勧請縄とは、村境(地域、地区の域内・外の境)に呪物を付した注連縄を 張る習慣。道切りとも呼ばれる。 日本全国の農村地域では、疫病などの災厄が域内に入るのを防いだり、 災厄を賦与して域内から追い出す意味合いで、藁や草で作った縄、人形 草鞋などを村域に祀る例が残る。 近畿地方周辺では、福井県若狭地方、滋賀県湖東・湖南地方、三重県 伊賀地方、奈良県東部山間部、京都府南山城地域などにまとまって分布して おり、勧請縄の他、勧請吊りという呼称もある。 以上 ウキペディアより ![]() 万葉歌人 山部赤人の終焉の地と伝えられている。祭神は山部赤人。 ![]() 山部神社本殿 本殿はこの建物の中にある。 ![]() 赤人寺(しゃくにんじ) 山部神社の隣にある。 ![]() 赤人寺の裏 重要文化財 石造七重塔 鎌倉時代 ![]() 御代参街道 ![]() ![]() ![]() 本陣跡の岡本宿の案内板 ![]() ここは、御代参街道の宿場町、岡本宿のあたり。立派な家が多い。 ![]() ![]() ![]() 八幡街道と御代参街道分岐 岡本宿 高札場跡 ![]() 問屋場(といやば)跡 石柱と案内板があるだけで、宿場町の面影を残すものはなにも残っていない。 高木神社 ![]() 高木神社 ![]() 左 本殿、 右 日吉神社 どちらも重要文化財 祭神は高御産巣日神(たかみむすびのかみ) ![]() 石燈篭 国指定無形民俗文化財 ガリ版伝承館 ![]() ガリ版伝承館 ![]() ガリ版を若い方は知らない人もいるだろうが、私には懐かしい。今は使われることも ないだろうと思っていたが、芸術の分野で使われているという。 明治期半ばの日本で、堀井新治郎父子によって開発された印刷技術で、ヤスリの 上に原紙をのせて、その上から鉄のペンで文字を書く。原紙には小さな穴が無数に あき、上からインクをのせると、点が線として印刷される。 ガリ版伝承館は、明治40年代に建てられた堀井新治郎父子の本家を修復し、 平成10年4月に開館した。 以上 ガリ版伝承館パンフレットより 梵釈寺 ![]() 桓武天皇創建、江戸時代天和年間に現在の場所に創建。黄檗宗。 宝冠阿弥陀如来坐像(重要文化財) ![]() 宝篋印塔(国指定重要美術品) ![]() 竹田神社 ![]() 朝日野駅の近く 竹田神社の鳥居 ![]() 竹田神社本殿 祭神 天津彦根命。延喜式(平安時代の法令集)内社の菅田神社として 崇神天皇の七年に創建。寛仁元年(1017)に現在地へ移され、竹田神社と 改める。木造男神座像(蒲生稲寸三麻呂がもういなぎみつまろの像)は重要文化財。 盗難にあうが戻され、現在は別の場所で保管されている。 今回は、蒲生野に残る石造文化を巡るというハイキングだったが、何故この 地域に集中しているのか不思議。今回は訪れなかったが、近くには白洲正子さんが 絶賛した石塔寺の石造三重塔(重要文化財)もある。 また、静かな田園の中の小さな村に、上の地図を見て頂くとわかるが、 これほど多くの寺と神社が集中し、しかも重要文化財が残っているのは驚きだ。 近江という所の奥深さ、底力を感じる一日だった。 ウオーキングへ 戻る TOPへ 戻る |