ウエーブ産経 京都歴史探訪ウオーク 
           二条城(世界遺産)


      2017年4月5日(水)  天気 曇り

        
         二条城周辺地図  当日の資料より

      ウエーブ産経 企画の歴史探訪ウオークに参加した。らくたび のガイドさんが
     案内してくださった。
      二条城を見学後神泉苑へ、昼食後二条陣屋を経て八坂神社御供社、武信稲荷神社、
     六角獄舎跡を見て四条大宮で解散。昼食時間をいれて4時間ほどの歴史探訪
     ウオーキング。
    
                      二条城

      二条城は徳川家康によって、将軍の宿所として慶長8年(1603)に造営された。
      二の丸御殿は造営当初からのもので、豊臣秀頼との会見や大政奉還の舞台となり、
     江戸時代の最初と最後を飾った。
      本丸御殿は、創建当時二の丸御殿に匹敵する規模であった。また五層の天守閣
     建てられていたが、寛延3年(1750)落雷によって焼失した。さらに天明8年(1788)、
     市中の大火のため本丸御殿をも焼失した。
      その後永らく再建はならず、幕末、将軍慶喜の住居として本丸御殿が建てられたが、
     明治14年に撤去された。
      現在の本丸御殿は、明治28年に桂宮家を移築したものである。
       
以上  世界遺産 元離宮 二条城 パンフレット等を参考にしました

       
    地下鉄二条城前駅 改札前に10時半集合。   修復を終えた東大手門(重要文化財)
    改札をでるとすぐに二条城が見える。      ここから入る。
    観光バスが何台も並んで混雑している。

         
          二の丸御殿唐門(重要文化財)。絢爛豪華

      
       漆塗り 金箔 精巧な彫刻の豪華な唐門の一部

      

      二の丸御殿(国宝) 遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が
     雁行形に立ち並んでいる。部屋数33室、800畳余りもある内部は、松鷹図をはじめ
     将軍の威厳を示す虎や豹、桜や四季折々の花を描いた狩野派の障壁画で装飾されている。
      美術や芸術に疎い私でも、その素晴らしさに圧倒された。内部は撮影禁止なので掲載
     できないが、二条城のホームページにアクセスすると、その障壁画を見ることができる。

       
        二の丸庭園 小堀遠州作

           
            二の丸から本丸御殿へ

      

      本丸御殿は、寛延3年(1750)に落雷により焼失。幕末に再建されたが、明治14年に
     撤去された。
      現在の本丸御殿は桂宮家を移築したものである。貴重な宮家の御殿建築の遺構として、
     重要文化財に指定されている。屋根のふくらみのある丸いカーブに優美さを感じる。

               
           早咲きの枝垂桜が何本か咲いている。今年の桜の開花は遅い。

         
          ソメイヨシノは7分咲きくらい

      二条城を後にして、二条城の南に位置する神泉苑へ。昼食を済ませてから神泉苑を散策する。

                        神泉苑

      神泉苑は、平安京造営当初から天皇が使用する池となり、庭園とみたてた舟遊びや、
     雨乞いの祈祷も行われた。空海と守敏大徳の雨乞い合戦がしられている。
      平安末期には、静御前と源義経の出会いの場ともなった。
      また、祇園祭発祥の地でもある。
      境内の恵方社では、毎年恵方の方を向いてお参りができるように社殿が動かされている。
                      
以上 当日の資料から

         

      現在は小さな池だが、昔は北は二条城の敷地の半分、南は三条通あたりまであり
     大きな池だったようだ。昔舟遊びをしたことに因んで、舟を浮かべている。

       

      正面 善女竜王社  右の小さな祠は恵方社。今年(平成29年)の恵方は北北西、
     大晦日に社を恵方の方角に動かすという。

         
          池の灯篭と桜

               
                枝垂桜

      神泉苑から南に歩いて三条通商店街へ。アーケードのなかに八坂神社御供社が
     建っている。

                      八坂神社御供社

      神泉苑に66本の鉾を送って街を清め、八坂神社から神様を迎えるという祇園祭りの
     発祥の地に建つ御旅所。現在でも7月24日の還幸祭では、神輿が三基ともこちらへ
     立ち寄る。

              
               三条通商店街   左側に御供社

         
          八坂神社御供社

      さらに南へ歩き、六角通りへ。

                      武信稲荷神社

      
          
武信稲荷神社

      お社の左に立つご神木のエノキ。かつて坂本竜馬によって「龍」の字が刻まれた。
     恋人のお龍はこの字から竜馬の安否を知り、のちに二人は再開して結ばれたと伝わる。
     以来、この木は縁結びのエノキとして知られている。

          
           エノキの木

      
       折れたエノキの枝をそのまま使って彫刻した 龍

      武信稲荷神社の側、現在はマンションが建っている所はかつて 六角獄舎 のあった場所。
      尊王攘夷派の指導者であり、生野の変の首謀者平野国臣や、池田屋事変に関わった
     古高俊太郎など多くの政治犯が収容された。
      元治元年(1864)7月19日、長州藩兵の入京に端を発した禁門の変によって京都市中の
     大半が兵火に包まれた。その翌日、火勢が六角獄舎に迫るや幕吏は尊王攘夷派の志士
     30数名を切った。
      また、山脇東洋による日本で初めての人体解剖も行われたところ。
     (杉田玄白らが行った観臓に先だつこと17年前のことであった)


         
      平野国臣殉難の地の看板。隣接して斬首された志士の慰霊碑が建っている。

       
        山脇東洋観臓の地の碑

      今回の歴史探訪ウオークは、らくたび のガイドさんが一緒だったこともあり、
     大変面白かった。
      見過ごしてしまいそうな小さな池、商店街の中の小さな祠、マンションの側に建つ碑
     などガイドさんがいなければ通り過ごしてしまう。
      二条城とその近くの狭い範囲にもかかわらず、平安時代から幕末までの歴史の舞台が
     登場するなどさすが京都だなあと改めて思った。
      ウエーブ産経のスタッフの皆様、楽しい旅をありがとうございました。


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