3Y ガチャの旅    

               尼子あまご(滋賀県犬上郡甲良町)

                         

      ※ ページの最下部に一番年長のYさんの写真を2枚追加しました。

               

      第4回 2014年5月2日  晴れ

      行程     
       (近江鉄道) 近江八幡 〜 尼子 〜 近江八幡

      第3回ガチャの旅で多賀大社に出かけた時、気になる駅名があった。
     無人駅なのに真新しい駅舎の尼子駅。あまご? ここになぜ尼子という地名が
     あるんだろう。戦国大名尼子氏と何か関係があるのだろうか。
      今回、尼子へのガチャ旅ということで疑問が解けるかもとワクワクして出かけた。

      
       歩いたコース(赤線)  

        
    近江鉄道尼子駅 無人駅とは思えない立派さ。 駅内部。

     
      尼子公民館に建つ 尼子氏発祥の地 の看板

      私が疑問に思った 「なぜここに尼子の地名が」 の答えはこれだった。
     私の考えとは逆だったけれど。
      戦国大名出雲尼子氏の故郷は滋賀県犬上郡甲良町尼子 この地だったのだ。
     尼子氏は近江守護京極氏の一族で、京極高秀の子高久が尼子郷に住んで
     尼子を名乗るようになったのが始まり。高久の子持久が出雲の守護代として
     出雲に赴き、月山富田城(島根県安来市広瀬町富田)を本拠にしたのが
     出雲尼子氏の始めだという。
      滋賀県はすごい所、歴史好きの者にはたまらない魅力に満ちている。


                     せせらぎ遊園のまち

       
      この町は せせらぎ遊園のまち 甲良町 がキャッチフレーズ。
     町の中を水路が巡って清流が流れている。
      水路の中は蛍のためなんだろうか、石が積まれている場所があちこちにある。

        
      水路の周りや、各家の庭は花が一杯。どこを歩いても気持ちのいい美しいまち

      
       高虎公園の池

        
         尼子公民館の池 水路の水を引き込んでいる

                    
                     甲良町の三大偉人

      尼子氏発祥の地である甲良町は、婆娑羅大名佐々木道誉、藤堂高虎
     日光東照宮の大棟梁甲良豊後守宗廣の故郷でもある。
      今回は佐々木道誉と甲良宗廣のゆかりの地を訪ねることはできなかった。
     いずれまた、訪れて見たい所だ。

      佐々木道誉(1296〜1373)
      道誉は近江国の佐々木京極家に生まれる。38歳の時、鎌倉幕府打倒の
     兵を挙げた足利尊氏に従って活躍し、その功により室町幕府で重要な職を担い
     繁栄した。その後、現在の甲良町正楽寺に移住し勝楽寺城を築く。
      婆娑羅大名(身分秩序を無視し、華美な服装や振る舞いを好む美意識を持った
     大名)の代表のように言われているが、茶道、華道、能楽、連歌などの奥義を
     極めた教養文化人でもあった。

      甲良豊後守宗廣(1574〜1646)
      甲良町法養寺の有力な名工甲良家に生まれる。30歳の時、初めて幕府工事の
     棟梁に召し出されて以来、業績が評価されて日光東照宮「寛永の大造替」の
     大棟梁になる。
      東照宮は元和3年(1617)徳川家康を祀るために、宗廣と同郷の藤堂高虎が
     作事奉行となり造営された。
      寛永13年(1636)に宗廣が作事方大棟梁に任命され、今日の豪華絢爛な
     社殿群に生まれ変わった。
      以上、佐々木道誉と甲良豊後守宗廣の部分は せせらぎ遊園のまち 甲良町
       観光マップより引用しました

          

        
         住宅地の一角に 藤堂高虎生誕地 (甲良町在士)

    
               藤堂高虎騎馬像(甲良町在士の高虎公園)

      藤堂高虎(1556〜1630)
      近江国藤堂村(甲良町在士)に生まれ、元服の15歳にして背丈191cmという
     巨漢であった。
      浅井長政、羽柴秀長、豊臣秀吉等に仕え、45歳の時関ヶ原の戦にて徳川家康
     率いる東軍に参戦する。
      その功により、今治(愛媛県)20万石の城主となる。
      徳川家の重臣として仕え、築城技術にも優れていたため江戸城改築などにも
     功を挙げ、伊勢国津(32万石)藩主となる。家康は高虎の能力と忠義を高く評価し
     重用したという。
      以上、藤堂高虎の部分は せせらぎ遊園のまち 甲良町 観光マップより引用しました

        
      高虎公園にある 高虎公残念石。この巨石は、藤堂高虎が元和6年(1620)徳川
     幕府の命により、京都府加茂町大野山から切り出したもの。大阪城の再建に
     使用する目的であったが、工事に使われることなく木津川に取り残された。
     巨石には藤堂家の記号と寸法が刻まれ、重量は約11トン。

       
     八幡神社の藤  満開には少し早い 
                         
      八幡神社は応永2年藤堂三河守景盛が、京都石清水八幡宮を勧請したのが
     草創で、その時紫藤一株を植えて子孫の繁栄を祈願した。
      そんな謂れのある藤の花が、町のあちらこちらに植えられている。
      八幡神社の藤の花は、毎年5月上旬に藤堂宗家に献上されるそうだ。

                         巨木の多い町
          
     

      歩いていると町のそこここに大きな木がある。これは散策を終えての帰り道、
     尼子駅近くの田んぼの中に聳えていた。行ってみることにする。
      農作業をしていたおじさんに ここは公園ですか と尋ねると甲良神社のお旅所で、
     木は欅だと教えて下さった。大きな欅が5・6本聳えたっていた。
      木の真下から上を見上げるとあまりの高さに眩暈を覚える。
        
      
       まるでバオバブの木のようだ

                        出会った花々

              
         高虎生誕地そばの民家で見つけた白藤、棕櫚の木に巻き付いている

        
         たんぽぽの綿毛

       
     水路の中に咲くカラー               フェンスに巻き付いたアケビの花

               一番年上のYさんから頂いた写真2点です。

                    ありがとうございました。

       
        花の競演 ハナミズキとガーブミラーに映った藤の花

      
       光を受けて    葛のつる


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